突然の発表に驚きましたが、オリックス・バファローズの森脇浩司監督が、チーム成績不振の責任をとり、自分自身の意思で監督業を休養したいとの申し入れをして球団側もそれを受諾。当分の間、福良淳一ヘッドコーチが監督代行として、チームの指揮をとることとなりました。
森脇監督は本当に監督を退任してしまうのか?それとも復帰はあるか?野球ファンを現在、騒がせている森脇監督について調べてみました。
※ちなみに、こちらは2015年のデータとなります。
森脇浩司監督の年俸は
森脇浩司監督の年俸額は推定7000万円。
森脇監督は2013年から本格的にオリックスの監督へ就任。2013年こそ5位でしたがその翌年の2014年には2位となり球団に多大なる貢献をしました。
2014年の成績を考えると森脇監督の年俸はコスパに優れているように見えます。
2015年はビックリするくらい振るわず、休養となってしまいました・・
森脇浩司監督に関する豆データ
森脇浩司監督の身長や出身校など豆データをみてみましょう。
身長:178cm
体重:78kg
現在の体重は78kgですが現役当時の体重は73kgくらいとされています。
元々は遊撃手でしたがポジション争いが激しく、三塁手としての実績の方が華やかでした。スラッとした体型は敏捷性を求められる二遊間を得意とする選手にとって、一番BESTと言って良い体型ではないでしょうか。
森脇監督は現役時代からイケメンで『球界の草刈正雄』と呼ばれ、現役時代の応援コールも『森脇、森脇、男前!』というものもあったほどです。
余計なお世話ですが、スリムな体型にイケメンともなれば現役当時はかなりモテたでしょうね。
出身地:兵庫県西脇市
出身高校:社高
森脇監督の出身地である兵庫県西脇市は人口・約4万人。市としては小さい部類に入ります。
兵庫県自体は瀬戸内海に面した県ですが、西脇市はその兵庫県でもほぼ中央に位置してますので海無し市です。西脇市は、神戸市の北約50kmに位置し、東経135度線、北緯35度線が交差する事から日本列島の丁度、真ん中あたる為、『日本のへそ』としてアピールしているのはご存知でしょうか?
西脇市からは森脇監督以外にも元プロ野球選手では鈴木啓示やプロボクサーの長谷川穂積、ウルフルズのトータス松本などを輩出してます。
森脇監督の出身校である社高校は県立高校では珍しく敷地が広大で体育関係施設が特に充実していて陸上競技場(一周・400メートル)・野球場・サッカー場・テニスコート・体育館・トレーニングセンター・武道場・50メートル公認プールがあります。
兵庫県と言えば甲子園のある県で、甲子園常連校の報徳学園、神戸弘陵、神戸国際、滝川第二、東洋大姫路、神港学園、育英などがひしめく野球の盛んな地域としても有名ですね。
その中で私立強豪校を倒して甲子園出場を果たし、尚且つベスト4まで勝ち上がったことのある県立社高校の功績は素晴らしいの一言。
森脇浩司監督といえば津田恒実さんとの友情
森脇監督といえば、津田恒実さんとのことを紹介しないわけにはいかないでしょう。ご存知無い方も居るかもしれませんので、ご紹介します。
まずこの話をする前に森脇監督の無二の親友『津田恒実』がどんな人物かご紹介します。
★伝説の男と呼ばれた津田恒実投手★
広島東洋カープで投手をしていましたが31歳の時に悪性・脳腫瘍が見つかり32歳の若さで他界。
津田さんの口癖は『弱気は最大の敵』。常に自分に言い聞かせマウンドに上っていたと言います。常に真っ向勝負で投球の90%以上がストレート。ある日の阪神戦、2アウト満塁でバッターボックスには4番・バース。3球とも直球で3球3振。あのバースに『ツダはクレイジーだ』と言わせた。
また原辰徳(現巨人監督)と対戦した時も全力投球の津田投手の投じたストレートをファールした原選手はその場に倒れてしまい、診断結果は『左手有鉤骨をの骨折』。シーズンの残り試合全てを原選手は棒に振ることになったそうです。
初代広島市民球場にはその功績と人柄を讃え『直球勝負、笑顔と闘志を忘れないために』の文章が浮き彫りにされたメモリアルプレート(津田プレート)が設置されました。個人の記念碑としては、連続試合出場記録を樹立した衣笠祥雄に次いで2人目。
広島の選手は、試合に出場する時必ずこのプレートに触れていくというエピソードがある。(現在はMAZDA.Zoom-Zoomスタジアム広島に移設されている。)
まさに、気迫のピッチングで常に真っ向勝負。バースや原監督とのエピソードは凄まじいです。以前津田さんの波乱万丈の人生をテレビで特集しているのを見たことがありますが、闘病に関しても諦めずに闘う姿が描写されていたのを覚えています。
最後まで諦めず、強気で攻め続けた偉大な投手の一人が津田恒実さんなんです。
それを踏まえて、森脇監督とのエピソードをご紹介します。
広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友であった。津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には、積極的に周辺の世話を行っていた。津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と言っていたほどである。また、1994年に結婚し披露宴を挙げた際には、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行い、同席していた金石昭人・清川栄治ら友人たちの涙を誘った。
一緒に戦った仲間の友情は深いもの。私も部活でともに汗を流し努力した仲間は今でも親友として付き合いがあります。
そんな戦友が病魔に襲われるとは思いもしなかったことだと思います。しかし、努力むなしく最悪の結果となってしまった。。
でも、森脇監督の心のなかでともに戦っているのはこのエピソードを見れば明らかですね。オリックスの監督となっても、津田さんは一緒に戦っていたのだと思います。
このお二人の物語は実際にドラマにもなっています。興味がある方は一度ご覧になってみて下さい。
まとめ
現在の森脇監督は休養となっていますが監督業を辞める事になるのでしょうか?
今シーズンの成績不振の原因は、新加入した選手が相次いで離脱。エース・金子選手も手術後の右肘の経過が思わしくなかったり、中継ぎ・抑え陣までもが不調と不運に不運が重なったことなのかと考えています。
シーズン途中で早々に責任を取って、また次の監督がすぐに結果を残せなければまた変えて。。確かにプロ野球はビジネスですので、効率とか結果とかを求めるのは当たり前ですが、チームを育てるという観点で必要な期間もあるのではと個人的には感じます。
森脇浩司監督の今後の去就に注目しておきましょう。
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